~ 黒豆のお話 ~ その6

最古の「豆豉」が発掘された馬王堆漢墓のお話(1)

中国南部の湖南省長沙市の東郊外の発掘現場は2つの連なる小高い丘で、昔から馬という姓の王侯や古代長沙王の母が埋葬されている等の大きい墳墓があると伝えられていました。これらの話は五代十国時代に長沙で楚王として割拠した馬殷の墓があるという誤った伝承となり、その小高い丘の名前である「馬王堆」の由来となります。

1950年代の調査によって漢代の墓葬群があると認定されていましたが、70年代に入り病院建設工事中に墓坑が発見された事で本格的な発掘が実施され被葬者が確定されます。

最初に墓坑が発見されたのは東側の丘でした。発掘を進めると中央の空間の周りに4つの空間が囲む、5つの部分に仕切られた外棺(槨室)が発見されました。この外棺(槨室)は外側から厚さ1mの白い練り固めた泥の層と暑さ0.5mの木炭の層で囲まれており、中央の空間には4重になった木棺、回りの4つのスペースには実に1000点を超える様々な副葬品が納められていました。
4重の木棺の一番外側は、黒漆が塗られており、次の棺には見事な神話上の怪獣などが、3重目の棺には赤の漆の地に龍・虎・仙人などが描かれ、そして最後の4重目の棺は豪華に鳥の羽と刺繍で飾り立てられていました。

木棺のなかには、約80ℓの無色透明の液体(出土後ほどなくチョコレート色に変色した。)に浸かる20枚以上の絹の着物に包まれた女性が横たわっていました。また、副葬品の中には「妾辛追」と読むべき綬つきの印章が見つかっており、この副葬品の発見により、被葬者は利蒼の妻、姓名は辛追、と判断される事になりました。

この発見から2年のあいだにこの墓坑の周囲に新たに2つの墓坑が発見され、最初の墓坑を1号墓、その後発見された墓坑を2号墓・3号墓と名付けられました。

発掘の結果、3号墓からは12万字余28編からなる帛書が、2号墓は唐代に数度の盗掘で内部が破壊されていたものの副葬品の中に「利蒼」と刻まれた玉印、および「軑侯之印」「長沙丞相」と刻まれた銅印が発見されこの発見が決定打となり、一連の発掘された墓は、BC186年(前漢初期)に埋葬された長沙丞相の利蒼とその家族の墓であると確定する事になりました。また副葬品や歴史書から判断すると2号墓は前186~前188年頃、3号墓は前168年頃、1号墓は後に発掘される2号墓・3号墓の封土を部分的に破壊していたため、それらの後に造営されたと考えられています。

この3つの墓からは驚くべきものが出土しており、次回はその出土品についてご紹介します。

(その7へ続く)

中国歴代王朝略年表

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