~ 黒豆のお話 ~ その4

黒豆っていつ頃からあるの?(3) 

戦国から秦・漢時代にかけて、人々は大豆を主食とするのと同時に大豆を副食品に加工する方法を模索してきました。

前述の『楚辞』の記述の通り、豆豉はこの時代の人々が作り出したものであると考えられています。同じく食物について書かれた最古の史料『周礼』で「豳菽(ビンスウ)」と呼ばれていた煮大豆に塩を加えてカメに詰めて発酵したモノは、秦の時代には「豉(チー)」に、漢の時代には「豆豉(トウチー)」と呼ばれるようになります。

三国時代の曹殖の詩には「豆豉」から「豉汁(チーツー)」が生じたとの記述があります。「豉汁」とは良好な発酵した「豆豉」に水を加えて抽出された可溶成分の黒色の汁液の事で「豉油」・「清醤」等とも呼ばれたものですが、大豆醤油のルーツであると考えられています。この「豉汁」は、現在でも「頭法豉油(トウファチーツー)」や「頭法醤油(トウファジャンユー)」・「蔭油(インユー)」・「烏豆醤油(ウートウジャンユー)」等の名称で、中国東南部の沿岸地帯や台湾で消費されています。

宋・元・明・清の大半の文献が「豆腐」は前漢の淮南王劉安が創始したものとしています。中国本草学史上最も充実した薬学著作とされている明の時代の李時珍が著した『本草綱目』には、「豆腐」は「水に浸し、磑き砕き、滓を濾し去り、煎成し、塩鹵汁、或いは山礬葉、或いは酸漿・醋澱を以って、釜に就きてこれを収む」、すなわち浸豆・磨豆・濾過・煮漿・点漿・鎮圧の工程によって造り出すとあるのですが、この工程が河南省密県の後漢の遺跡である打虎亭一号墓中の画像石に描かれています。この事から「豆腐」はその創始から熟成まで、前漢から後漢までの400年近くの歳月を要したと考えられています。

また、後漢末に「腐乳」が創り出されたとされており、この頃に中国での大豆発酵食品の基礎が定まったと考えられています。

次回は「豆豉」の歴史についてより詳しくご紹介致します。

(その5へ続く)

中国歴代王朝略年表

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