~ 黒豆のお話 ~ その3

黒豆っていつ頃からあるの?(2) 

戦国から秦・漢時代にかけて、多くの文献で「菽(=大豆を主体とした豆類の総称)」・「粟」に関する記録・記載が見られます。
例えば、戦国時代の法家の書物である『管子』には「菽・粟足らず。商人を禁ぜざれば、民に必ず飢餓の色あり」という記載がある事や、墨家の始祖本人やその弟子の思想を記した書物『墨子』の「耕稼樹藝して、菽粟を聚む。ここを以て菽粟多くして民食に足る」という記述があり、これらの記述から「菽」が戦国時代の人々の主食であったと考えられています。

大豆が主食となったのと同時に、人々は副食を作る方法を模索する中から大豆を多種多様な食品に加工利用する方法を編み出して行きます。様々な利用方法が考案される中で、大豆は食品だけではなく飼料・肥料・燃料として、また、医療方面での効用も注目されて行きました。

現存する中国最古の医学書と言われる『黄帝内経』での、脾臓の病気に「宜しく醎を食らうべし。大豆・豚肉・粟・藿(豆の葉)はみな醎なり」という記載や後漢時代の医学書『神農本草経』の「大豆黄巻(大豆モヤシ)、味は甘にして平、関節炎・筋肉痛・膝痛を主る。生大豆を腫れ物に塗り、煮汁を飲めば、鬼毒を殺し、痛みを止む」という記載等から、大豆には医学的効用があると認識されていたと考えられています。

また、漢代の農学者である氾勝之が「豆に膏あり(大豆は肥沃である)」という言葉を述べているのですが、これはマメ科の植物は根に窒素固定を行う根粒菌が共生しているため、有機農業ではマメ科以外の作物を栽培した後に土壌から失われた窒素分を補充する目的で豆を輪作すると良い言われているのですが、戦国時代から秦・漢時代の人々は、根粒菌の窒素固定作用を知らないながらも長い時代にわたる農業経験の中から次第に大豆の土壌肥沃化作用を認識し、初歩的な大豆と穀類の輪作を行っていたと考えられています。

さらに、戦国時代の遊説の士の言説、国策、献策、その他の逸話を国別に編集し、まとめ上げた書物『戦国策』での「君の廏の馬は百乗、繡衣を被て菽粟を食わざるものなし」という記述、春秋・戦国時代の思想・社会の集大成である『韓非子』の「韓の宣王曰く、吾が馬、菽粟多し」という記述などから、戦国時代の人々が大豆を飼料としても利用していたと考えられています。

次回はこの時代に考案された大豆の加工利用方法についてご紹介致します。

(その4へ続く)

中国歴代王朝略年表

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