『日本における新聞誕生の地』の碑

「日本における新聞発祥の地」の碑

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横浜中華街関帝廟通り、地久門から関帝廟に向かう道なりにこの碑はあります。

碑文は「ここ, 横浜の元居留地141番は, 1864(元治元)年6月28日, ジョセフ彦が, 「海外新聞」を発刊した居館の跡である。彦は, リンカーン大統領と握手した 唯一の日本人であった。 リンカーンの民主政治が 勃興期の米国の新聞の力に負うところ大なるを体得し, 開国したばかりの祖国のため, 日本最初の新聞を創刊し, 「童子にも読める」新聞精神を提唱した。読みやすく, 判りやすい新聞を, 創世記の日本の新聞界に植えつけた 新聞の父・彦 の功は大きい。さらに木戸孝允, 伊藤博文, 坂本龍馬など多くの人びとに民主政治を伝えた彦は, 民主主義の先駆者として, およそ新聞を読むほどの人々の心の奥に残る 文化の恩人であった。」とあります。

1837年に出生した“彦太郎”は、1850年に江戸から故郷に帰る船旅の途中に遭難し、太平洋を漂流した後にアメリカの商船に救われ、アメリカに渡ったとのことです。そしてアメリカで教育とカトリックの洗礼を受けるのですが、この時「ジョセフ」のクリスチャンネームを受け、以後ジョセフ彦と名乗り最終的には米国籍を得ます。1859(安政6)年にアメリカ領事館の通訳としてハリスとともに開国直後の日本に着任したジョセフ彦は、1864(元治元)年にわが国最初の新聞を発刊したとの事です。

発行していた「海外新聞」は月刊で、半紙4~5枚を仮綴したものでした。手書きでスタートした「海外新聞」は後に活版印刷となり、2年間で26号まで発行したといわれています。

ジョセフ彦は1897(明治30)年に60歳で没するまで新生日本の発展に尽くし、現在も東京・青山に“浄世夫彦の墓”が残されているとの事。

当時の中華街は今とは違い、船員達が集い当時の最新の世界情勢や文化情報・政治情報の発信地だったんですね。

この碑は道なりの植木の中にひっそりと佇んでいて、道を行き交う人々はあまり気付かないようです。少し残念な感じもしますが、当店にそれほど離れていないこの場所にその昔当時の世界の情報をいち早く発信した施設があったかと思うと少し感慨深いものがあります。

カテゴリー: 横浜『碑』巡り
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